· 

五月の節句と三浦家の由来

今回はステーキとは全く無縁ですが、五月の男子の節句にちなんで兜や刀のお話をさせて頂きます。この度、居合道(夢想神伝流)を学んでいる事から、関西を代表する龍神村の山の中の刀鍛冶屋さん、龍神太郎さん(本名・安達さん)と知り合い、私の体に合う刀を半年かけて作って頂きました♡ 不思議な縁にて、私の先祖(葛西氏)は源平合戦のおり平氏一族ですが源氏に付き(平氏の長男家系以外は関東に領土を持っていたため大半が源氏側に付きました)、その後東北の藤原一族を滅ぼしたさいに優れた手柄があって奥州官僚という役にて宮城県と岩手県の南側の領地を源頼朝から頂いたとされています。現在の宮城県の登米という場所を中心に領土を持っていましたが、約400年後の豊臣秀吉が小田原城を責めた折、恩も仇も無しと参加せずにその後の東北戦争で滅ぼされました。親戚関係の福島から宮城の大名に移動された伊達氏に密かにかくまわれ登米群の名主として先祖の兄弟、三浦と名乗ったとも、義重の代に北条に滅ぼされ東北地方に多く逃げて来た家来の三浦氏の妻の姓を名乗り三浦として江戸時代を過ごしたとも言われています。 安達さんの先祖も源氏に付き活躍したそうで、源性を許されたとのこと。 一方、神奈川の三浦一族は同じ平氏の北条氏と鎌倉幕府の権力争いで対立、滅ぼされて三浦の名を使えず正木という姓で千葉・房総の里見家に守られて鎌倉時代から室町時代を過ごしたそうですが、後の世の徳川家康に気に入られ三浦姓へ戻すのと、一部は家康の十男、紀州初代の頼宜の家老として和歌山に来たそうです。写真の紀州筆頭家老三浦の鎧は家紋は先祖以来の丸に三の字が出ています。 我家は葛西家の家紋・三つ柏です。 他には北条との合戦以前に天皇に仕えていた三浦家は蝶の家紋などがあるそうです。家紋によって三浦家もいろいろな歴史があるようですね。ご自分のご先祖を調べるのも良いことにて、不思議な縁がつながりますよ・・('◇')ゞ  和歌山県立博物館にて4月24日~6月6日まで刀剣美術展で龍神太郎さんの刀も展示されるそうです。興味ある方は行かれてみてください。

最後に我家の前の南高梅がどんどん出来る時期になって来ました・・桃の花も綺麗に咲きだしました(⋈◍>◡<◍)。✧♡